前に、「再生装置」という題で、画像や音はオンラインで送れるが、においは送れないというようなことを書いた。
人間のいわゆる五官の、視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚のうちの、視覚と聴覚のふたつは、データ(デジタル)化することができ、メールで送ることができ、受け取って再生したりできる。
あとのみっつは、いまのところ再生装置がないため、データ化できないということになる。
おそらく、これらみっつの再生装置を発明するのはむずかしいと思う。
なぜなら、先のふたつに比べて、客観性がないこと、感覚として個人的な要素を多く含むということと、なにより、皮膚で感じるものだからである。

いま現在、ここまでデジタル技術や機械が発達して、いろんなことができるようになったが、できないこともあるということである。
雨が降ったら傘をささなければならない、というのも似たようなことである。

これから、デジタル化できないものが見直されるのではないかと思う。
デジタル化の方向への進化ではなく、アナログの方向への深化である。
そういう転換の時期だと思う。

あと、ここで改めて思うのは、言語というのは、すごいなあということである。
文字にすることで、視覚化できるし、音に出すことで、聴覚化することもできる。
デジタル化は視覚、聴覚ともに可能だし、紙に印刷してアナログ化もできる。手で書くなら、紙でなくてもどこにだって記録することができる。
さらに、嗅覚、味覚、触覚までも、表現することができる。
ダイレクトな表現ではないが、ダイレクトな表現を超えた表現も可能ともいえる。

言語の進化と深化、というのも今後の新しい方向性になるだろうと思う。
というか、すでになるつつある、なっている、と思う。